言葉に心動かされる

2~3人から立て続けに同じ言葉を投げかけられることが度々ある。

そんな時はきまって自己探求の旅にこっそり出掛ける癖がある私は、「どうしたら自信を持てますか?」という思いもよらぬ投げかけに驚き、「自信なんて持ったことも思ったこともないよ~」と返事をしつつも「そう言われるということは、周りにはそのように見えているということか…」と、発したとほぼ同時に客観視というスイッチが自動的に入るのです。

そもそも自信って…何?

漢字から察することが出来やすい「自らを信じる」という言葉。解りやすい分あえて考えてみると難しく感じてしまうのは、もしかしたらそこに「強さ」を感じて抵抗している自分がいるからなのかもしれない。

ふとそんなことを思って数人に「自信があるってどんなイメージ?」と聞いてみたことがある。結果は、やはり私と同じような意見だった。

確かに私から見ても自信がある人は”揺らがない人”。そのようなイメージがあるので果たして自分にはその質があるのか…と改めて自問すると「そうありたい」という気持ちと共に「自信があるよりも謙虚でありたい」という裏腹な想いが湧きあがってくるのも正直なところ。

それは、自信に対してプラス面とマイナス面の両極を感じているからなのかもしれない。ということは、どちらがあっても良いし、どちらの面が出ていても良いし、もちろん交じり合っても良い。対極というよりも「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」の陰陽のように。

本が教えてくれたこと

そんなことを思っては忘れての1~2ヶ月が経ったある日、「この本おすすめです!」と言われてつい先日図書館で借りたこちらに「あっ!」と腑に落ちた言葉が書かれてありました。

自信が欲しければ自分の力で解決しようと困難に立ち向かうことです。

大切なのは、失敗したときにそれをどう克服するかという心的基盤をつくることです。

続アメリカインディアンの教え「あなたの幸せがここにある」より

規則は行動を制限し、自由は責任が伴う

これを目にした時、大分前に『覚悟を決めてサロンを始めたんだね』と言われたことを思い出しました。

その時も今回同様、そのように強い意志を持って始めたというよりも自然な流れという気持ちが大きかったのですが…組織から離れて少し経った時のメモ書きに『規則は行動を制限し、自由は責任が伴う』と記していたのです。

全ては自分次第であり、全ては自分に返ってくるのが一人で行うということ。よって引用した”困難や失敗”という言葉にすれば早いのかもしれませんが、言語化の前に目の前のことに向き合わざるを得ないのも事実であり、それはいつだって私にとって「どのようにしたらよいか、どのようにしてみようか」という前向きなものでした。

それを裏付けるかのようにある時友人が「OLの時は”辞めたい”ってよく言ってたけど、サロンを始めてから一度も言わないね。だから最初は心配したけどきっと大丈夫なんだろうなって思って見守っていたよ」と伝えてくれ、そこで初めて言っていない自分に気が付かされたのです。

もしかしたら

よって私の場合、「続ける」ということによりいつしか精神力が養われていき、もしかしたら”そこ”が自信を持っているように見えるようになったのかも。そんなことを皆さまのお陰で思うことが出来ました。

いつだって一人では自分のことを知ることが出来ず、人と関わることで得られる大切な気づき。そしてそれは会話の中の何気ない一言から始まることが多いのが私流です。