またこの言葉が気になる
与えられるものこそ 与えられたもの
藤井風さんの「帰ろう」歌詞より
これまでは
- 自分の想い
- 言葉
- 経験
- モノなど
”見えるもの 見えざるもの”全てを含め、自分の才能や培ってきた「与えられるもの」が誰かのためになるのであれば、それこそが自分自身に「与えられたもの」である
と、そのように思っていましたが…ここ最近、過去に学んだものなどに再び目を通しながら思ったのが
仮に「与えられたもの」を「与えられた(受け取ってもらえた)」としたならば
既にその時点でそれ自体が彩りを増して再び「与えられるもの」として戻ってくる循環型になっているのではないだろうか…そのように思ったのです
- 一方向と捉えるか
- 循環と捉えるか
- どちらもあると捉えるか
それはもしかしたら、その時々に置かれている環境や心の在り方によって異なってくるのかもしれないですね
時を経て再びこの言葉に触れる時には、果たしてどのように思うのか…
それは、その時のお楽しみにしようと思います😊